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皇室典範問題で、男系護持派(純保守派)中心に、超党派で議員連盟を結成するらしい。
以下、引用。 平沼元経産相、皇室典範改正阻止で議連結成へ 平沼赳夫元経済産業相(無所属)は14日、岡山県津山市内で開いた新年会であいさつし、通常国会で「皇室典範改正を阻止するため、同志を集めて行動する」と述べた。この後、記者団に「議連の結成に向け下準備をしている」と語った。 で、これを聞いた一般の男系護持派は「待ってました!」という感じらしいが、個人的には「やっと発表か。思ったより遅いな」と思った。 何故なら、二ヶ月も前から「議連作りますよ」という情報が出ているから。 発言者は、この人↓。 ![]() 今月20日から開かれる第164回国会にて、最大の争点は、外国人参政権で無いければ人権擁護法案でも無い。 この皇室典範問題となるそうである(これも出どこの明確な情報)。 ただ、全く予断を許さぬ状況でもあるらしい。 油断は禁物である。 |
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時々、反対活動において、皇室典範や外国人参政権の件に触れると『人権擁護法案の反対』だけに絞って欲しい。・・・という意見が出てくる。
『女系天皇とか皇室典範とかは思想が違う人もいるから』 『便乗してる右翼活動の片棒かつがさられそうでいやっていう知り合いもいる』 という理由からだが、何故に、 『人権擁護法案に反対する人が、同時に外国人参政権や皇室典範問題等も問題視するか』 これについて、個人的な見解ではあるが、少し述べたい。 人権擁護法案に対し、反対の声を挙げる・・・・ 実はそう容易く誰でも『反対・廃案』という結論に至れる訳ではない。 その理由は極めて簡単な事である。 『知識が足りず、認識が無い。』 『基礎知識が無いので、何が問題かが解らない。』 これに尽きる。 ではどういう知識が足りず、認識が無いのか。 別に法的知識や判例について述べているわけではない。 また、法的観点から問題点を察知するとしても、その場合は法律に関する知識や実践、司法の現状まである程度広範に知りえて、伴っていないと中々『反対・廃案』に結論は至らない。 要は、法的アプローチで問題点の察知に至るには、法の専門家(弁護士・検察)あたりでないと出来ないという事だ。 そもそも法曹人口は社会において少数である。 それどころか、法の専門家(弁護士)の中には、 「内容が不十分だから反対だ!(つまり「今の内容では我々は満足していない」の意味)」 という理由から反対しているものもいるくらいであるから、法の専門家の意見と言えど、内容如何では余り当てになる訳でも無い。 しかし、それでも、法曹以外でもこの法案に危機意識を持ち、反対・廃案の結論に至っている人は少なくない。 それは、この法案の危険性の察知に於いて、純粋に法的な知識よりも、寧ろ『一般教養』とでも呼ぶべき知識の方が重きを成しているからである。 即ち、ここでいう知識や認識とは、自国や世界の歴史、現代の社会状況の事である。 つまり、 我が国の歴史に対する知識が義務教育の範囲と視点を超え、又、我が国を取り巻く諸外国の実態にある程度詳しく、一方で現代社会の標語に常日頃より疑問を抱く人物は、現状に対して「危機的状況である」事を導き出し、認識出来る。 例えば、我が国の歴史に関する知識について、 南京大虐殺が実は虚構である事(南京『事件』というのはあったらしい)や、 従軍慰安婦という者が実は当時存在しなかった(追軍売春婦は存在したが、要ははただの売春婦である。) 事、 戦前の韓国・台湾に於ける植民地統治や、満州国の統治が現在でも、世界的に見て賞賛に値する内容であったのが、その実態であった事、 在日朝鮮人が主張する「強制連行」の実態が、実は殆どの人間が密入国でやってきた事実を誤魔化す為、若しくは当時日本国民として扱われた彼らに対する「徴用」を「強制連行」と言い張っている事、 また、戦前の悪法と言われる「治安維持法」について、戦後は「普通選挙法〔衆議院議員選挙法改正〕と引きかえの形で」と学校で教わるが、実はそれが単に「法の制定時期が近いだけの出鱈目」である事、 「天皇制」という言葉が、『ロシアの共産主義者』から伝播した皇室否定用語である事を知っているかどうか。 ここから導き出される結論として、大陸(チャイナ)や半島(コリア)がいう、「旧日本軍の残虐性」や「日帝の七奪」とやらが誇張や虚構に満ち、彼らの求める「過去に対する謝罪や賠償」が如何に根も葉もないデタラメ・虚構に基づいたものであるかを見抜けるか。 又、我が国を取り巻く諸外国の実態としては、大陸(チャイナ)が自国民を一億人も死に至らしめた政策(大躍進、文化大革命)を実施してきた事、またチベットやウイグルで民族浄化政策を行っている事、靖国神社にA級戦犯が合祀されている事を非難している割に、実は人民のほぼ全てがA級戦犯の意味を知らない事、 韓国では親日派を合法的に(つまり法を制定してまで)弾圧している事・・・・ そして、普段から現代社会の標語と言える「平和」や「命の重さ・尊さ」を訴えている連中が大震災が起こった際、救援に行こうとした自衛隊の行動を邪魔した事や、北朝鮮の拉致問題には極度に冷淡であったりする事から、現代社会の標語に対しても疑義を抱き、寧ろ嫌悪の対象と看做す・・・ こういう知識や認識があってこそ、この法案に対する危険性を、真の意味で覚る事が出来る・・・ 法律に詳しくない人でも反対・廃案の結論に至っているのは、つまりは我が国からの視点による歴史観に基づいた国家観を有しているからなのだ。 更に言うなら、上記の様な、我が国の文化・伝統といったものを重んじる人物でなければ、この美しい名前の法案の裏に秘められた、 真の恐ろしい危険性を直感・察知し、具体的に反対の声を挙げるには至らないのである。 実際に、 国会で積極的に反対を唱え、国民集会を度々開いて国民世論の喚起の励み、また、議員連盟を結成して法案の推進派と直接対立したのが我が国の文化と伝統を護る事を重んじる「真正保守派」と呼ばれる人々であった事が、その証左である。 そしてこの「真正保守派」と呼ばれる人々は、官民を問わず拉致問題解決の為に、何らかの形で積極的に動き、国家の根幹を脅かす外国人参政権付与にも断固反対を唱えている中核的存在でもある。 一方で共産党もこの法案には反対しているが、「真正保守派」と呼ばれる人々と違って積極的に動いているわけでもない。 拉致問題に対しては冷淡であり、外国人参政権の付与にも積極的である。 では何故共産党が反対するのかと言えば、それはあくまでも法的な観点に基づく欠陥の指摘と、この法案を最も強く要請している部落解放同盟と共産党の、以前からの対立関係の延長線上から導き出された結論だからだ。 この両者の決定的な違いは、心に留め置いて頂きたい。 |
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現在、ネットではマスコミに対する不信と批判が凄まじい。
その原因は、誰でもないマスコミ自身の体質にあるのだが、その結果として斯様な事態にまで発展することとなった。 ■基本計画27日に閣議決定 犯罪被害者支援で推進会議 政府は26日、犯罪被害者等施策推進会議(会長・安倍晋三官房長官)を開き、損害賠償請求の負担軽減を図る新たな制度の検討など計約260項目の支援策を網羅した犯罪被害者等基本計画案の正式決定に向け、協議した。同会議の了承を経て、27日午前の閣議で基本計画を決定する。 犯罪被害者の発表を実名とするか匿名とするかを警察の判断に委ねるとの項目をめぐり、日本新聞協会や民放連などは「実名発表」を強く求めてきたが、政府は項目の削除や修正には応じず、原案通り基本計画に盛り込む公算が大きい。 基本計画案は、犯罪被害者等基本計画検討会(座長代理・山上皓東京医科歯科大教授)が、犯罪被害者基本法が施行された4月以降、被害者や家族からの1000件を超える要望を精査して具体的施策にまとめた。 個人的な結論から言えば、この件、即ち 『犯罪被害者の発表を実名とするか匿名とするかを警察の判断に委ねるとの項目』 これは悪用されるであろう。個人情報保護法ですら過剰に解釈・判断されて社会的に色々と問題視されているくらいであるから、基本計画案がこのままならば、反対である。 国家、政府等の掌握している情報は、余程の機密で無い限りは、広く国民に伝えるのが原則だと考えているから、更には、その情報の取り扱いの最終判断は民間の手に委ねられた方が良い、そう思うからである。 この場合の民間は、マスコミになる。 マスコミに実名報道の是非を判断させるべきであろう。 ただし、これは、『マスコミのモラルが高い場合』である。 現状は低いのが、今回の基本計画案にて「警察の判断に委ねる」という項目が存在する遠因であり元凶だからだ。 上記の記事の『犯罪被害者等施策推進会議』、会長が安倍 晋三氏である。この会議の会長は官房長官が代々務めているらしいから、今の時期に、この人が会長であるのは偶然だし、 『犯罪被害者の発表を実名とするか匿名とするかを警察の判断に委ねるとの項目』 この項目はどうも安倍氏が会長になる以前からの方針であろうから、安倍氏が「この項目入れろ」とごり押ししたとも思わないが。 ただ、安倍晋三氏自身、去年の3月11日、人権擁護法案に関して 『元検察官の堀田力氏までが、政治家が「公平で公正な放送を」求めればそれだけで「圧力」になるというようなことを平気で言うあぶない政治風土の国なので、上程反対』 この様な事を述べたというから、現状のマスコミに対して内心深い不信感・嫌悪感を抱いているのは間違いなく、マスコミ側の言い分を相手にする事はないだろう。何より、安倍 晋三氏自身が報道被害者である事を加味すると、この項目が無くなる事は無さそうである。ちなみに、もう既に閣議決定までされているので、警察判断に反対する人達にとって、覆すのは不可能な状況だろう。 そこで、マスコミが如何に起死回生、この条項を無くす為に行動すべきかという視点で考えたいが、先ず上記安倍氏の発言の元ネタ、 『安倍 晋三、中川昭一の二人はNHKに圧力をかけ、番組内容を改変させた』 これが2005年01月12日、朝日新聞の朝刊一面に載せられた翌日の報道ステーションに安倍氏は出演。騒動の発端となったNHKプロデューサーの告発内容の論理破綻を看破してみせ、加藤千洋氏が北朝鮮から工作(オペレーション)を受けている人物である事まで暴露し、一気に形成を逆転せしめた。 更に、『自分は嘗てNHKに圧力かけて内容変えさせたぞ』と、自ら戦果までカミングアウトする国会議員まで登場(笑)し、安倍氏を弁護した。 この件での安倍 晋三氏の対応は実に見事であった。 そして、NHK番組改変問題というものは、マスコミが以下に酷いかをマスコミ自身が証明してみせた事件でもある。 この事件でのマスコミは、安倍氏が報道ステーションに出演した01月13日以降も、『圧力はあった』という前提のもと、報道や議論を繰り広げ、挙句の果てには記者会見で「圧力は無かった」「結論ありきの報道だ」「ジャーナリストとして許すことは出来ない」と明言したNHKの元幹部に対して 「ジャーナリストとして許すことが出来ないのはお前だ!!!!!!!!!」 とTVで罵倒したジャーナリスト(誰とは言わないが「フィギュア萌え族犯行説」提唱者)まで出て、もう見ていて「如何にマスコミが安倍 晋三という人を失脚させたがってるか良く判る(笑)」、惨憺たるものであった。 更にこの数ヶ月後には尼崎電車脱線転覆事故が発生。 この件でのマスコミの報道姿勢には、流石に大多数且つ多方面から、その報道姿勢に対する批判が噴出したことは、皆さん記憶に新しい事と思われる(その批判の最たるものはこちらを参照の事)。 被害者の人権に配慮すべき───これは良く判る。確かにそうである。 でも、犯罪被害者の発表を実名とするか匿名とするかを警察の判断に委ねるのだけは、避けた方が良かろう、と思う。 こういった事は、結局何らかの形での情報の統制、強いては言論の統制に繋がる可能性がある。 戦前が、そうだったからである。 戦前、通信社は複数複数存在し、新聞も一千種を超えた言われる。 通信社が複数存在するという事は、様々な通信社から様々な情報が入って来る。情報は言論の自由の活力の様なものでもあるから、通信社が複数存在し、新聞も一千種を超えたという事はそれだけ戦前は言論が自由だった証左であるが、流石に書かれている事も千差万別になる為、政府は「これはいかん」という事で、通信社を一箇所にまとめて「国策通信社」(国家代表通信社)を設立し、「取材はこの一本を通せ」という事で、ここからの情報しか上がってこないというシステムを作り上げた。1935年の事である。要はこの様なかたちで情報を統制したのだ。 ・・・しかしこれは表向きの理由である。もう一つ裏の理由もある。 上記の『表向きの理由』は、『言論や報道の統制機関を設立し、言論を統制した』という前提のもとでの話。確かに政府側が規制するのは宜しくない。 一方で、当時のマスコミは「自主規制」をしていたと言われる。 別に政府の圧力とか関係なく、自分達の意思でやるから「自主規制」。1930年代以降ならともかく、それ以前は、間違いなく自主規制の産物である。どういう事かといえば、当時のマスコミは軍部の暴走を支持した。もっと言えば軍部に追従し、批判しなかった。 1925年からは治安維持法があったが、あれは主に共産主義者を取り締まる目的であるから、軍部の批判は出来た訳だが当時のマスコミはしなかった。また、他方で当時世論の反発を間違いなく受けるアフォな論調を展開してた(具体的に言うと、浜口雄幸内閣の蔵相・井上準之助による、昭和四年度(1929年)予算を一割以上削減した昭和5年度(1930)年の超緊縮財政型予算案に伴う官僚の減俸に対し、農村が困窮を極めていた時代にもかかわらず官僚と共に政府批判を展開した!)らしいので、国民のマスコミに対する信用も落ちていたそうである。 そうして社会的な信用を失いつつ、ドンドン軍部礼賛の傾向を強め、何時の間にか統制、検閲を受け入れる下地を自ら作っていったのが戦前のマスコミ。 「批判しない」、これも立派な自主規制であるのは、現在のチャイナやコリアに対するマスコミの報道姿勢を良くご存知の方ならご理解いただけるはず。要するに戦後も「自主規制」をしている。 自主規制に関しては戦後の方が悪辣かもしれない。 そもそも『何を言ってはいけないのか』、その基準が良く判らない。 例えば、何をもって『差別発言』と看做されるか? それはマスコミがいきなり決める。 具体的に言えば、『●■▲は差別だ!』と声高に叫ぶものが突如躍り出て、そしてマスコミがそれに同調して、事後法的に人権の名の下『言葉狩り』が起こる。 こうして「ちびくろサンボ」「ジャングルくろべぇ」は絶版となった。 しかし何故か現在「ちびくろサンボ」は復刻版が出ている。 こうして振り返ると基準はなんなのだろうか?『その時の空気』か?・・・そう思う人が大多数であろう。実際そうだし。 今問題になっている人権擁護法案も、成立、施行されたら、目を付けられた対象がこの様な『その時の空気』で処断されかねない危険性をはらんだ、非常に厄介な内容である。マスコミの自主規制ですら厄介なのに、人権委員会まで出来たら尚更言論が抑圧されるのは目に見えている。 個人的にはマスコミには、何をもって規制しているのか、その基準を明確化し、また広く一般に公開してほしいのだが・・・・ 話を戻すと、何が言いたいのかと言えば、「自主規制」も今回の件の遠因・元凶であるという事。つまりは「自分達で勝手に規制してるんだから、政府の方でも規制してもいいよね?」という発想につながっているという事、もっと言えば、一般人へのメディア・スクラムや事故・災害現場での「マスコミは特権階級か?」と思わせる様な質の悪い振る舞いから来るマスコミ不信も加わって、『「マスコミ自体、規制されて止む無し」という空気』を作り上げた事である。正に上記の如き「戦前のなんとやら」であるが、これはマスコミ自身の自業自得で救いようが無い。 因みに、この件に関するマスコミの反対論の機軸は、 (1)事件の検証、調査が困難になる (2)原因究明に支障が生じ、再発防止に影響を与える (3)警察の捜査ミスや怠慢隠しに使われる 大体こんなところらしいが、今回のこの「警察判断」の件は、皮肉なことに、マスコミがよく口にする=政府批判のダシにして使う『民意』『国民の声』即ちこの場合だと『報道被害を何とかして欲しい!』という要望をダイレクトに反映した側面もある。 政府が民意を反映する・・・素晴らしい事では無いのか? 何故マスコミはそんな政府を批判するのだ? 普段自分達が主張してきたことを忘れたのか・・・? ここを突かれると、マスコミを擁護しようとする側は大抵論理破綻をきたす。というか負ける。 しかも、これまで散々事件の被害者側の人権を蹂躙してきたマスコミに、被害者側の人権を保障できるか・・・と問えば、誰もが「NO」というであろう。マスコミにとって、現在はそういう社会状況である。だから反論するならば、もはや屁理屈抜きで 「確かに仰るとおりですが、この件だけはご再考を!」 と言うしかない。変に、「これは民主主義の終わりだ!」などと言い出したら、それこそ単なるいちゃもんにしか聞こえないだろう。 マスコミの言い分そのものは理解できる。だが、擁護するのは大変である。ともかくこれまでやってきたことが大なり小なり救いようが無いことばかりであり、マスコミに肩入れすると、それこそ 「マスコミの人権侵害を容認するのか!?」 などと問い詰められて面倒極まりない。 けれどもやはり、警察は情報を広く民間に提供すべきだろう。 というのも、こんな意見もあるからだ。 犯罪被害者基本計画:遺族、警察判断に懸念 匿名は人格無視/本人に確認を 政府が27日に閣議決定した犯罪被害者等基本計画は、事件や事故の被害者を実名・匿名のどちらで発表するかの判断を警察に委ねた。猪口邦子内閣府特命担当相ら政府側は「恣意(しい)的に運用される心配はない」と強調してきたが、被害者の遺族からは「匿名では被害者の気持ちが伝わらないのでは」「警察ではなく、被害者が判断すべきだ」などと懸念する声も上がった。 94年の松本サリン事件で二男豊さん(当時23歳)を亡くした小林房枝さん(63)は「匿名というのは人格を無視されているようで嫌な感じがする。報道を見聞きする立場としても、実名報道の場合は被害者の気持ちが伝わる。匿名ではそれが伝わらない部分があるのではないか」という疑問を持っている。基本計画には「私の意見が他の被害者全員に当てはまるとは思っていないので、警察は自分で判断するのではなくて、被害者本人に意向を丁寧に確認してほしい」と注文を付ける。 兵庫県尼崎市で今年4月に起きたJR福知山線脱線事故で妻と妹を亡くした兵庫県宝塚市の浅野弥三一さん(63)は「警察は実名発表を維持すべきだ。匿名だと、被害者が社会に存在した事実が公になることがなく社会的な抹殺につながる。警察に被害者の社会性を奪う権利はない。メディア側も被害者に対し節度ある取材をすべきで、それができるのならば実名発表で構わない」と話した。 大阪教育大付属池田小学校の乱入殺傷事件で長女麻希ちゃん(当時7歳)を失った酒井肇さん(43)は「警察の裁量での実名・匿名の判断は絶対反対」という意見だ。「被害者の意向の尊重に加えて、警察は、本当の意味での被害者支援体制やその根幹をなす理念、支援者の養成手法を整え、継続的な被害者の意思確認方法も確立する必要がある。報道がもたらす被害と恩恵についても理解すべきだろう」と指摘する。さらに「報道被害はメディアの取材方針、取材活動や報道内容で発生する。メディアは、より自主的かつ主体的に報道被害の防止に努力すべきだ」と話し、「警察もメディアも被害者の立場に立ち、実名報道でも被害者の尊厳が尊重される社会形成に努めるべきだ」と訴える。 ◇「実名報道の基準不明確」 一方、99年に妻と長女を殺害され、「全国犯罪被害者の会」の幹事を務める山口県光市の本村洋さん(29)は「承諾が得られた場合のみ実名を発表にすべきだ」と考えており、閣議決定を支持する。「実名報道を行う際の判断基準が明確でない」と危惧(きぐ)し、「報道機関の取り組みは理解しているが、報道被害が発生した場合に被害者に与える影響は深刻。報道側に被害者問題の扱いを判断できる専門家は育っているのか」と問いかける。その半面、「節度ある報道が実現すれば実名発表を拒む被害者も減るはずだ」と、報道被害対策の進展に期待を寄せる。 毎日新聞 2005年12月27日 東京夕刊 |
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三夜連続の『警部補 古畑任三郎 (FINAL)』を見たが、一番良かったのは最初の回だった。
『何故石坂浩二が出演しているのか?』 これをもう少し真剣に考えるべきであった。 やはり四代目水戸黄門は、何処までも腹黒かったということか。 違う意味で良かったのは、最後の回だった。 劇中劇の『鬼警部 ブルガリ三四郎』が(笑) 後、西園寺君(笑)『優秀で小柄なキャラは中々おいしい』・・・て(笑) 新シリーズ、『鬼警部 ブルガリ三四郎』で作ってくれないかなぁ、フジテレビ(笑) |
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新年明けましておめでとうございます。
早速、父と共に初詣に行って参りました。 毎年参拝する神社は、千年以上の歴史をもつ、由緒正しき所。 何より、歩いて十分程度の近場にある上、参拝に来る人が少ないので、気楽に足を運べるのが良い。 そして、年の暮れようとする二十三時四十分に家を出て、父とのんびり話しながら神社に向かう・・・これが新年を迎える我が家の恒例行事となっている。 しかし・・・今年からこれまでに無かった現象が。 先ず、人が多い。 確かにここ数年、参拝する人が増えて来た。 特に去年からは行列、それも長蛇の列が出来るようになった。異常な増え方である。理由は謎だ。そして今年もまた長蛇の列! 次に。新年を告げるアナウンスがかかった。 これまでに無い現象である。スピーカーで 『新年明けましておめでとうございます。どうぞおまいりなさってください・・・云々』 嘗ては、年を越したらそのまま参る・・というだけであった。 そもそも、この神社では、参拝する人が少ないが故に、新年を迎える十分も前に到着すれば、境内の焚き火に当たり、時が来たらそのままだらだらと賽銭を投じて参拝を完了する・・・そういうスタイルが定着していた。 ・・・のだが、ここ数年の参拝者の激増で、長蛇の列の一員に加わらなければならなくなってしまった。 そんなにこの神社、儲かっているのだろうか? 一体普段、何をしているのだろうか? そんな事に思慮をめぐらせてるうちに、更に驚くべき現象があった。 長蛇の列の先の拝殿に、4人の白い服を来た人物がこちら側を向いて立っているのが見える。 巫女だ。巫女さんがたくさんいる。 これも嘗ては無かった。 長蛇の列が動き出し、新年を迎えて10分程度が立ったところで漸く拝殿の前に至る。 その間、列の左右を見ていると、若いにーちゃんねーちゃんが沢山回りにたむろしていた。楽しそうだ。良く見ると、戌年の看板が立てられている。・・・あんなものも嘗ては無かった。やはり儲かっているのか? 賽銭箱の前あたりに前まで来ると、拝殿の中にいる巫女さんの顔が当然よく見えるわけだが、皆揃いも揃って可愛いぞ!どうなってるんだ本当に!!しかも挨拶までしてくる!何か怪しいものを感じるぞ!? 参拝を済ませ、お守りを買いに売り場に向かう。 売り場にも巫女さん四人。これも可愛い。 この神社、どうなっているんだ?そんなに景気いいのか? ・・・もしかして、全国各地の神社に可愛い巫女さんを派遣する、そういう専門の業者がいるのか? などと考えつつ巫女さんを見ながら、お守りを買った。 声も可愛らしい。犯罪的過ぎる。 そうして神社から帰る最中、毎年この神社で出会う二十年来の友人に挨拶。その後コンビにで肉まんを買い、初詣は終わった。 しかしあの神社・・・何時からあんな商売っ気丸出しになったのか。 菅公が天罰下されても知らんぞ。 |





















