まぁ負けると思っていた。
そして案の定そうなった。上告はするのだろうが。
元守備隊長の請求棄却 沖縄集団自決訴訟
先の大戦末期の沖縄戦で、住民に集団自決を命じたとする誤った記述で名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の元戦隊長と遺族が、ノーベル賞作家の大江健三郎氏(73)と岩波書店(東京)に、大江氏の著書『沖縄ノート』などの出版差し止めや損害賠償を求めた訴訟の判決が28日、大阪地裁であった。深見敏正裁判長は「書籍に記載された内容の自決命令はただちに真実と断定できない」としながらも「(命令の)事実については合理的資料や根拠がある」と認定。名誉棄損の成立を認めず、原告側の請求をすべて棄却した。原告側は控訴する方針。
戦後、定説のように流布された「隊長(軍)命令説」の真実性が最大の争点。判決は、真実性について明確には認めなかったが、大江氏らが命令説を真実と信じた相当の理由があったとして、名誉棄損を否定する「真実相当性」を棄却の根拠とした。
原告は元座間味島戦隊長で元少佐の梅沢裕さん(91)と、元渡嘉敷島戦隊長の故赤松嘉次・元大尉の弟、秀一さん(75)。対象となったのは『沖縄ノート』と、歴史学者の故家永三郎さんの『太平洋戦争』(岩波書店)の2冊。
深見裁判長は、多くの体験者が手榴(しゆりゆう)弾は自決用に交付されたと語っている▽沖縄に配備された第32軍は防諜を重視し、渡嘉敷島では部隊を離れた防衛隊員の島民を処刑した▽自決のあったすべての場所に日本軍が駐屯し、駐屯しなかった場所では自決がなかった▽軍は両元隊長を頂点とする上意下達の組織だった−などとして軍や元隊長が自決にかかわったと認めた。
大江氏は昭和45年に刊行された『沖縄ノート』で、研究者による戦史の文言を引用して両島の隊長命令説を記述。特に赤松元大尉については「集団自決を強制したと記憶される男」「戦争犯罪者」などと記した。
隊長命令説をめぐっては、作家の曽野綾子さんが渡嘉敷島の現地取材を経て48年に出版した『ある神話の背景』で疑問を投げかけた。さらに、座間味島の生存者の女性が生前に「軍命令による自決なら遺族が年金を受け取れると説得され、偽証した」と吐露したことを、娘が平成12年に出版した本で明らかにした。
◇
藤岡信勝・拓殖大教授の話 「全くの不当判決だ。大江氏は『沖縄ノート』で根拠なく隊長命令があったと明言し、なかったという住民らの証言に耳を傾けようとしなかった。さらに自決するなと言わなかった元隊長の不作為を《命令》だったと、裁判のための理屈を並べた。この論理が法廷で通用するはずがない。大江氏ほどの文学者が《命令》という日本語をねじ曲げていることにほかならない。最近は座間味島の元隊長が、自決をするなと止め、自決のために忠魂碑前に集まった住民らを解散させたとする証言も出てきた。いまだ命令があったとする主張を続けるのは許し難い。それだけに全く想定できない判決で残念だ」
◇
沖縄戦の集団自決をめぐる訴訟で、大阪地裁が28日言い渡した判決の要旨は次の通り。
【1】 『沖縄ノート』は、座間味島及び渡嘉敷島の守備隊長をそれぞれ原告梅沢及び赤松大尉であると明示していないが、引用された文献、新聞報道等でその同定は可能であり、本件各書籍の各記載は、原告梅沢及び赤松大尉が残忍な集団自決を命じた者であるとしているから、原告梅沢及び赤松大尉の社会的評価を低下させる。
【2】 『太平洋戦争』は、太平洋戦争を評価、研究する歴史研究書であり、『沖縄ノート』は、日本人とは何かを見つめ、戦後民主主義を問い直した書籍であって、原告梅沢及び赤松大尉に関する本件各記述を掲載した本件各書籍は公共の利害に関する事実に係わり、もっぱら公益を図る目的で出版されたものと認められる。
【3】 原告らは、梅沢命令及び赤松命令説は集団自決について援護法の適用を受けるためのねつ造であると主張するが、複数の誤記があると認められるものの、戦時下の住民の動き、非戦闘員の動きに重点を置いた戦記として資料価値を有する『鉄の暴風』、米軍の『慶良間列島作戦報告書』が援護法の適用が意識される以前から存在しており、ねつ造に関する主張には疑問があり、原告らの主張に沿う照屋昇雄の発言はその経歴等に照らし、また宮村幸延の『証言』と題する書面も同人が戦時中在村していなかったことや作成経緯に照らして採用できず、『母の遺したもの』によってもねつ造を認めることはできない。
【4】 座間味島及び渡嘉敷島ではいずれも集団自決に手榴弾が利用されたが、多くの体験者が日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった際の自決用に手榴弾が交付されたと語っていること、沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いており、渡嘉敷島では防衛隊員が身重の妻等の安否を気遣い数回部隊を離れたために敵に通謀するおそれがあるとして処刑されたほか、米軍に庇護された2少年、投降勧告に来た伊江島の男女6名が同様に処刑されたこと、米軍の『慶良間列島作戦報告書』の記載も日本軍が住民が捕虜になり日本軍の情報が漏れることを懸念したことを窺わせること、第一、三戦隊の装備からして手榴弾は極めて貴重な武器であり、慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断され、食糧や武器の補給が困難であったこと、沖縄で集団自決が発生したすべての場所に日本軍が駐屯しており、日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では集団自決が発生しなかったことなどの事実を踏まえると、集団自決については日本軍が深く関わったものと認められ、それぞれの島では原告梅沢及び赤松大尉を頂点とする上意下達の組織であったことからすると、それぞれの島における集団自決に原告梅沢及び赤松大尉が関与したことは十分に推認できるけれども、自決命令の伝達経路等が判然としないため、本件各書籍に記載されたとおりの自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない。
原告梅沢及び赤松大尉が集団自決に関与したものと推認できることに加え、平成17年度までの教科書検定の対応、集団自決に関する学説の状況、判示した諸文献の存在とそれらに対する信用性についての認定及び判断、家永三郎及び被告大江の取材状況等を踏まえると、原告梅沢及び赤松大尉が本件各書籍記載の内容の自決命令を発したことを直ちに真実であると断定できないとしても、その事実については合理的資料若しくは根拠があると評価できるから、本件各書籍の各発行時において、家永三郎及び被告らが本件各記述が真実であると信じるについても相当の理由があったものと認めるのが相当であり、それは本訴口頭弁論終結時においても変わりはない。
したがって、被告らによる原告梅沢及び赤松大尉に対する名誉毀損は成立せず、それを前提とする損害賠償はもとより本件各書籍の差し止め請求も理由がない。
【5】 『沖縄ノート』には赤松大尉に対するかなり強い表現が用いられているが、『沖縄ノート』の主題等に照らして、被告大江が赤松大尉に対する個人攻撃をしたなど意見ないし論評の域を逸脱したものとは認められない。
産経新聞 2008.3.28 11:14
先の選挙で、「KY(空気読めない)」とかいう、知的劣化を推奨するような言葉が流行ったらしいが、その流行に沿って考えれば、つまり文字通り「空気を読む」なら、まず今現在(戦後)は一貫して
・先の戦争で日本は悪いことばかりした。
・アジアの国々を植民地にし、奴隷のように扱った。
・当時の政府は自国民をも苦しめ、死に追いやった。
上記の様な価値観を国民が公に共有している。
そんな空気に覆われている中で、それに抗う者が排除され続けたのが戦後日本だった。この原理は常に歴史問題で作用する。
それに大阪地裁といえば、車で5人殺傷の男に対して「自殺の道連れにやったのではなく、悪魔に命令された」という訴えを聞き入れ無罪にしたり、恐喝罪(「部落差別」と脅して現金を取った)に問われた4人に対して「会社側に理不尽な対応があり、社会通念上相当範囲内の権利行使だった」 として無罪にした実績がある、はっきり言ってとても信頼に値しない所だ。
これでは、まともな判決など全く期待できない。
こういう悪条件下での敗訴は然るべきものだった。
では、この訴訟を行った人達について「無駄だ」「愚かだ」と思うかと言われれば、勿論「NO」だ。
むしろ、よくやってくださった!
たとえ満足な結果を得られなくとも、その背中を見ている者がいる。後に続く者がいるなら、必ず何時かは成就する日がくるはず。
この戦後日本を覆う空気の打破に挑み続ける事こそ、真の改革――国民の歴史の回復――に結びつくのだから。
元々この訴訟はこれが発端だった。
「軍命令は創作」初証言 渡嘉敷島集団自決 元琉球政府の照屋昇雄さん
第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。
照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。
同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。
照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。
照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。
300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。
その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋)で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。(豊吉広英)
◇
【用語解説】渡嘉敷島の集団自決
沖縄戦開始直後の昭和20年3月28日、渡嘉敷島に上陸した米軍から逃げた多数の住民が、島北部の山中の谷間で手榴(しゅりゅう)弾のほか、鎌(かま)、鍬(くわ)などを使い自決した。武器や刃物を持っていない者は、縄で首を絞め、肉親を殺害した後に自分も命を絶つ者が出るなど悲惨を極めた。渡嘉敷村によると、現在までに判明している集団自決の死者は315人。
【用語解説】戦傷病者戦没者遺族等援護法
日中戦争や第二次大戦で戦死、負傷した軍人や軍属、遺族らを援護するため昭和27年4月に施行。法の目的に「国家補償の精神に基づく」と明記され、障害年金や遺族年金、弔慰金などを国が支給する。サイパン島などの南方諸島や沖縄で日本軍の命を受けて行動し、戦闘により死傷した日本人についても戦闘参加者として援護対象とされている。
◇
≪「大尉は自ら十字架背負った」≫
「大尉は、自ら十字架を背負ってくれた」。沖縄戦の渡嘉敷島で起きた集団自決の「軍命令」を新証言で否定した元琉球政府職員、照屋昇雄さん(82)。島民が年金や弔慰金を受け取れるようにするために名前を使われた赤松嘉次元大尉は、一部マスコミなどから残虐な指揮官というレッテルを張られてきた。照屋さんは、自分のついた「うそ」で、赤松元大尉が長年非難され続けてきたことがつらかったという。
赤松元大尉は昭和19年9月、海上挺身隊第3戦隊の隊長として渡嘉敷島に赴任した。任務は120キロ爆雷を積んだベニヤ製特攻艇を使った米艦船への体当たり攻撃。ところが、20年3月の米軍主力部隊上陸前、作戦秘匿を理由に出撃前に特攻艇の自沈を命じられ、終戦まで島内にとどまった。
戦傷病者戦没者遺族等援護法では、日本軍の命令での行動中に死傷した、沖縄やサイパンの一般住民は「戦闘参加者」として準軍属として扱うことになっている。厚生労働省によると、集団自決も、軍の命令なら戦闘参加者にあたるという。
照屋さんは、本来なら渡嘉敷島で命を落とす運命だった赤松元大尉が、戦後苦しい生活を送る島民の状況に同情し、自ら十字架を背負うことを受け入れたとみている。
こうして照屋さんらが赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成した結果、厚生省(当時)は32年5月、集団自決した島民を「戦闘参加者」として認定。遺族や負傷者の援護法適用が決まった。
ただ、赤松元大尉の思いは、歴史の流れのなかで踏みにじられてきた。
45年3月、集団自決慰霊祭出席のため渡嘉敷島に赴いた赤松元大尉は、島で抗議集会が開かれたため、慰霊祭に出席できなかった。中学の教科書ではいまだに「『集団自決』を強制されたりした人々もあった」「軍は民間人の降伏も許さず、手榴弾をくばるなどして集団的な自殺を強制した」(日本書籍)、「なかには、強制されて集団自決した人もいた」(清水書院)と記述されている。
渡嘉敷村によると、集団自決で亡くなったと確認されているのは315人。平成5年、渡嘉敷島北部の集団自決跡地に建てられた碑には、「軍命令」とは一切刻まれていない。渡嘉敷村の関係者が議論を重ねた末の文章だという。村歴史民俗資料館には、赤松元大尉が陸軍士官学校卒業時に受け取った恩賜の銀時計も飾られている。
同村の担当者は「命令があったかどうかは、いろいろな問題があるので、はっきりとは言えない。しかし、命令があったという人に実際に確認するとあやふやなことが多いのは事実。島民としては、『命令はなかった』というのが、本当のところではないか」と話した。
今回の照屋さんの証言について、「沖縄集団自決冤罪(えんざい)訴訟を支援する会」の松本藤一弁護士は「虚偽の自決命令がなぜ広がったのか長らく疑問だったが、援護法申請のためであったことが明らかになった。決定的な事実だ。赤松隊長の同意については初めて聞く話なので、さらに調査したい」とコメント。昨年、匿名を条件に照屋さんから話を聞いていた自由主義史観研究会の代表、藤岡信勝拓殖大教授は「名前を明かしたら沖縄では生きていけないと口止めされていたが、今回全面的に証言することを決断されたことに感動している。また一つ歴史の真実が明らかになったことを喜びたい」と話している。
照屋さんは、CS放送「日本文化チャンネル桜」でも同様の内容を証言。その様子は同社ホームページで視聴することができる。
◇
≪「真実はっきりさせようと思った≫
照屋昇雄さんへの一問一答は次の通り。
−−なぜ今になって当時のことを話すことにしたのか
「今まで隠し通してきたが、もう私は年。いつ死ぬかわからない。真実をはっきりさせようと思った」
−−当時の立場は
「琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員の立場にあった。以前は新聞記者をしていたが、政府関係者から『援護法ができて、軍人関係の調査を行うからこないか』と言われ審査委員になった。私は、島民にアンケートを出したり、直接聞き取り調査を行うことで、援護法の適用を受ける資格があるかどうかを調べた」
−−渡嘉敷ではどれぐらい聞き取り調査をしたのか
「1週間ほど滞在し、100人以上から話を聞いた」
−−その中に、集団自決が軍の命令だと証言した住民はいるのか
「1人もいなかった。これは断言する。女も男も集めて調査した」
−−ではなぜ集団自決をしたのか
「民間人から召集して作った防衛隊の隊員には手榴(しゅりゅう)弾が渡されており、隊員が家族のところに逃げ、そこで爆発させた。隊長が(自決用の手榴弾を住民に)渡したというのもうそ。座間味島で先に集団自決があったが、それを聞いた島民は混乱していた。沖縄には、一門で同じ墓に入ろう、どうせ死ぬのなら、家族みんなで死のうという考えがあった。さらに、軍国主義のうちてしやまん、1人殺して死のう、という雰囲気があるなか、隣の島で住民全員が自決したといううわさが流れ、どうしようかというとき、自決しようという声が上がり、みんなが自決していった」
−−集団自決を軍命令とした経緯は
「何とか援護金を取らせようと調査し、(厚生省の)援護課に社会局長もわれわれも『この島は貧困にあえいでいるから出してくれないか』と頼んだ。南方連絡事務所の人は泣きながらお願いしていた。でも厚生省が『だめだ。日本にはたくさん(自決した人が)いる』と突っぱねた。『軍隊の隊長の命令なら救うことはできるのか』と聞くと、厚生省も『いいですよ』と認めてくれた」
−−赤松元大尉の反応は
「厚生省の課長から『赤松さんが村を救うため、十字架を背負うと言ってくれた』と言われた。喜んだ(当時の)玉井喜八村長が赤松さんに会いに行ったら『隊長命令とする命令書を作ってくれ。そしたら判を押してサインする』と言ってくれたそうだ。赤松隊長は、重い十字架を背負ってくれた」
「私が資料を読み、もう一人の担当が『住民に告ぐ』とする自決を命令した形にする文書を作った。『死して国のためにご奉公せよ』といったようなことを書いたと思う。しかし、金を取るためにこんなことをやったなんてことが出たら大変なことになってしまう。私、もう一人の担当者、さらに玉井村長とともに『この話は墓場まで持っていこう』と誓った」
−−住民は、このことを知っていたのか
「住民は分かっていた。だから、どんな人が来ても(真相は)絶対言わなかった」
−−あらためて、なぜ、今証言するのか
「赤松隊長が余命3カ月となったとき、玉井村長に『私は3カ月しか命がない。だから、私が命令したという部分は訂正してくれないか』と要請があったそうだ。でも、(明らかにして)消したら、お金を受け取っている人がどうなるか分からない。赤松隊長が新聞や本に『鬼だ』などと書かれるのを見るたび『悪いことをしました』と手を合わせていた。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂ける思い、胸に短刀を刺される思いだった。玉井村長も亡くなった。赤松隊長や玉井村長に安らかに眠ってもらうためには、私が言わなきゃいけない」
産経新聞 2006.08.27
ここから沖縄集団自決に関する教科書記述訂正、それに抗議する十一万人集会、そして今回の裁判へ繋がっていく。
しかし最初に書いた様に、未だ戦後の空気は「日本は悪」である。空気を覆すのが如何に困難であるかを知らしめたのが今回の結果だろう。
それにしても、随分ひどい判決だ。
要約すればこんなところか。
1.他の書籍にあたれば本人だと容易に判るけど、公益目的だから名誉毀損にはあたらないよ。
2.「隊長の命令があったとは言えない」けど、集団自決に使われたのは軍の装備。だから「上意下達の組織でもある軍が深く関与した」でいいだろ。
3.当時は皆そう言ってるし、他の書籍でもそう書いてあるのがあるから、大江らがそう思うのも無理ないだろ。
因みにこの裁判の被告である大江健三郎氏の認識(つまり上記の2.の部分)は以下の様なもの。
「軍命令あったと考える」 集団自決訴訟で大江さん
太平洋戦争末期の沖縄戦で、軍指揮官が「集団自決」を命じたとする本の記述をめぐる訴訟は9日、大阪地裁(深見敏正裁判長)で引き続き口頭弁論があり、ノーベル賞作家の大江健三郎さんが出廷。座間味、渡嘉敷両島での集団自決について「軍の命令があったと考えている」と証言した。
大江さんは証言に先立ち陳述書を提出。この中で「集団自決は戦争下の国、日本軍、現地の軍までを貫くタテの構造の力で島民に強制された。命令書があるかないかというレベルのものではない」との考えを示した。
両島で1945年3月に起きた集団自決をめぐり、大江さんの「沖縄ノート」など3冊の本は守備隊の命令があったと記述。座間味島の守備隊長だった原告梅沢裕さん(90)らは「誤った記述で非道な人物と認識される」として2005年8月、岩波書店と大江さんに出版差し止めなどを求め提訴した。
さきがけonTheWeb 2007/11/09 16:49 更新
確たる証拠も無しに、単なる感情的かつ観念的なもので「命令があった」と主張していたことが判る。
他に、判決要旨に出てくる『母の遺したもの』にはこんな話がある。
沖縄集団自決:女性史家、新版で「軍命令あった」の新証言
30日に出版される「新版 母の遺したもの」
宮城晴美さん 第二次大戦時の沖縄・座間味(ざまみ)島の集団自決について、那覇市の女性史家、宮城晴美さん(58)が、「新版 母の遺(のこ)したもの」(高文研)を30日に出版する。
00年12月出版の前作「母の遺したもの」(同)は、宮城さんの母初枝さん(90年12月死亡)が生前に語っていた「集団自決を座間味村の助役が申し出るのを見た」との証言を掲載し、波紋を広げた。今回は前作をベースにしながら、助役が「軍の命令があった」旨の話をしていたとの新たな証言を追加し、助役の自発的な申し出を逆に否定的に見る内容になっている。
宮城さんによると、村助役の妹が昨年6月、宮城さんに「兄は『軍からの命令で、敵が上陸して来たら玉砕するように言われている』と言っていた」と証言した。前作時にも取材したが、当時は証言が得られなかったという。
さらに、助役の別の妹も「父が『もうどうにも生き延びられんのか』と言うと、兄は『軍から命令が来ているんですよ』と答えた」と証言したという昨年9月の沖縄タイムスの報道も盛り込んだ。
宮城さんは、これらの証言から「助役が集団自決を申し出た」時より前に、軍が助役に住民を自決させるよう命令していた可能性が高いと指摘する。
また、「住民が国の補償を得るために『軍命令』とする話を作った」という説にも反論。国が補償の調査を始めた1957年より前の55年に書かれた「地方自治七周年記念誌」(沖縄市町村長会)にあった「部隊長の命により、若い者は最後まで戦い、老人子供は玉砕するようにとのこと」との記述を収録した。
宮城さんは「住民は勝手に死んだのではない。軍の責任は問われるべきだと訴えたい」と話している。
2100円で、全国の書店で販売。問い合わせは高文研(03・3295・3415)。【三木幸治】
【ことば】座間味島集団自決 米軍は1945年3月下旬、慶良間列島に上陸。座間味島では171人の住民が集団自決した。05年8月、同島の当時の戦隊長らが「自決を命令したと書かれ、名誉を傷つけられた」と、岩波書店と「沖縄ノート」の著者、大江健三郎さんを提訴。根拠の一つに宮城さんの母初枝さんの証言を挙げた。昨年12月に結審した。防衛省の防衛研究所は、初枝さんの証言などを根拠に、所蔵資料に「戦隊長命令はなかった」との見解を添付。今月になって「不適切」と見解を削除した。
毎日新聞 2008年1月22日 15時00分 (最終更新時間 1月22日 15時58分)
あの時期にわざわざ新証言を加えるなんてのがおかしい。
裁判を意識してのものと思わざるを得ない。
この裁判は名誉毀損に当たるか否かが一番の争点とはいえ、相も変わらずこんな論理的に支離滅裂な判決事由を罷り通す様では、司法(特に大阪地裁)に対する信頼は益々もって低下の一途を辿るだけだ。
▼参考
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沖縄集団自決で新証言 中尉「死に急ぐな」■
【詳説・戦後】沖縄の言論 異論認めぬ画一的報道■
【コラム・断】大江健三郎の“特権”■
西村眞悟HP・眞悟の時事通信「今こそ、歴史の復興期もしくは回復期」■
西村眞悟HP・眞悟の時事通信「歪曲された歴史的事実の是正」
▼関連記事
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司法の良識が問われる 其の壱
★注意:当ブログ記事では、文章の流れ等によって敬称を省略している場合があります。御了承下さい。
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「人権侵害」と決め付けられたら氏名を公表、文句あるなら裁判しろ…
こんな恐ろしい法律がつくられようとしている。
迫り来る先進国型全体主義の恐怖。
私も出ています(実は)。