先日は、TBSドラマ『シリーズ激動の昭和〜あの戦争は何だったのか〜日米開戦と東條英機』を見ていた。
7時台はパーティがあったので見れず、ビートたけしが出てくるドラマ本編だけだが、『笑っていいとも・特大号』と交互にチャンネルを変えながらの視聴だったので、当初は断片的にしか見れなかった。
後の方は通して見た。
見ていたが、実にこう、御前会議の雰囲気が、緊張感が漲っており、劇としては中々良かった。
野村萬斎演じる昭和天皇の凛々しさも良い感じだった。
逆に言えば、褒められるところはそれくらいだろうか。
話の基本的な内容は「随分と驕っとる」というのが率直な感想だ。
日米開戦に至るまで経緯を、「昭和」の、それも十年台(1935年以降)にのみ求めている様に受け取れたが、しかしそんな単純なもんじゃ無いだろうに。
それと、番組通して
「あの戦争は何だったのか?」
「責任は一体誰にあったのか?」
という問いかけが終始なされていたが、その責任追及の矛先は明らかに内(国内)にばかり向いており、日本が対外戦争の道を選んだ事自体が悪、という印象を受けた。
あと高橋克典の役は、当時の日本人としてのプライド無さ過ぎだろうに・・・いや、マスコミだから逆にアレはアレでリアルな描写か。
ああ、これは『昭和史』だなと思っていたら、ドラマの最後に昭和史家の保阪正康氏が登場してきたので、まぁ然もありなんといったところか。
■ 「昭和史」の欠点
あの番組の展開と内容だと、「あの戦争は、日本(の判断や考え方)が一方的に悪いと」いう印象を持つ。
第一アレだと、「アメリカ様に逆らった事が不幸の始まり」と言わんがばかりで白けるが、現実はそんな単純な話では無い。
超がつくほどの基本だが、戦争には「相手」がいる。
番組を見て不思議に思ったのは、その「相手」にも何らかの非があるはずなのに、それについては言及しない。
これは「昭和史」という空間特有のものらしい。
(省略)
端的に言えば、歴史の個々の事実をどう見るかとは関係なく、日本の行った行為しか見ようとしないのが「東京裁判史観」の真髄で、いまだに日本の大半の歴史学者、インテリ、マスコミがそこに捕らわれ、一歩も抜け出せない。なぜ比較の中で日本の近代史を論じようとしないのか。
さらに今日、「東京裁判史観」を支える中心的な論者の中には、自らを「昭和史家」と称する人が多い。彼らはつねに昭和史しか問題にしない。しかし昭和史を論じるなら、明治・大正を無視して正しい歴史観は得られない。ここに「昭和史」と「東京裁判史観」の本質的な親和性が生まれる背景があるのである。「昭和史」という言葉自体が、すでに国際的な視野がなく、「東京裁判史観」と不即不離に融合しており、何かを根底に共有している。
その「昭和史」についての細部の叙述のせめて半分、いや四分の一でも当時の諸外国のあり方について論じるべきで、その上で戦争観、歴史観を論じるべきだろう。当然のことながら、戦争には相手がいるのだから。このことを戦後の日本人はすっかり忘れ、「歴史」を論じてきたのである。その最たるものが「昭和史」なるものだった。
(省略)
あの頃の対日政策はアメリカの場合、国務省と同時に財務省や海軍情報部が戦略決定、つまり外交にも大きな役割を演じていた。それゆえ、国務省と日本政府との間の日米外交過程だけを見ていても、重要なことは何もわからないと言えよう。
(省略)
中西輝政『田母神論文の歴史的意義』月刊WiLL 2009年1月号五二項〜
もう只管、日本の事しか見ない。それが昭和史観。
これでは番組の問いかけに対する答は出なかろう。
■ 統帥権
御前会議の最中に、度々「統帥権干犯!」という声が場に響いていた。
一方で、陸軍と海軍は資源等の物資配分で対立していた描写もある。
あれは何であんな事になるのかというと、軍部はロンドン軍縮会議を機に統帥権干犯問題を起こすわけだが、しかし軍は陸軍、海軍の二つがあり、軍部大臣も陸軍、海軍の二つがあって、その関係は対等だった事に起因する。
明治憲法下では、国務大臣は総理大臣をはじめ陸軍、海軍等軍部大臣も皆同格だった事から、統帥権以降、誰が最終的な権限を握ってるわけでも無くなった為、物資配分や配給くらいしかまともに合意出来なかった、つまり戦争遂行に於いて非常に重要な『意思統一』が困難だったという背景がある。
結局、自分達が持ち出した統帥権に依って、自縄自縛になってしまったのである。
■ 明治元勲「偉かった」?
西田敏行演じる徳富蘇峰が、昭和天皇について、明治天皇以来の立憲君主としての在り方を守り抜いただけ、という旨の発言をしていたのは良かったが、「明治では上の人が偉かった。伊藤公、山縣公が偉かった。」というのには違和感がある。
伊藤博文公は確かに帝国日本を興隆させた功臣だとは思うが、しかし彼が作成に携わった大日本帝国憲法の、統帥権の項目のあの位置付けと曖昧さが、後の統帥権干犯問題に繋がっているというのは至極有名な話だ。
山縣も、大正元年の西園寺内閣の頃に、初めて軍部大臣が単独でも辞職を行使すれば内閣を倒したという、悪しき前例を作った黒幕であるという説がある。
また、明治の元勲たちは、富国強兵を強力に推し進める一環として、現在の官僚制及び教育制度の基礎を構築したが、この明治時代に整備された官僚制は、ペーパー試験に依る人材採用が支那の科挙制度に似ていると言われ、教育制度もこれに併せて機械合理的な管理教育制度となり、その官僚制度も、欧米的な依法官僚制では無く、支那的な家産官僚制である、と言われる。
家産官僚制とは、行政権と、財産の所有権の区別、境目が曖昧な統治機構を指す。
例えば、国益よりも省益を優先したりするのが、その最たる弊害である。
だから、独立行政法人を設け、そこに天下りしたりするわけだ。
この家産官僚制が、国家総動員法等に見られる数々の統制や、戦争遂行に於いて適切な人事を行えない等、臨機応変に対処出来ない硬直性をもたらし、しかも戦後に至るまで(!)維持されている。
維新の元勲らは、国難であった日露戦争を勝利に導いた一方で、同時に後の大問題の根幹も生み出していた。
巨視的に見た場合、果たして、本当に偉大だったのか、そう簡単には判断出来ないところがある。
ただ、維新の元勲らに、数十年後の未来の責任を取れと言っても無理があるとはいえ、どうせ責任を内に求めるなら、せめてこの辺くらいまで遡らないと、何故日米開戦に至ったか、その答えは導き出せないだろう。
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驕りの昭和史 其の弐
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